『ゴー宣』読者の「主体性」はどうやら他の知識人に
とって、驚嘆するものらしい。
ちぇぶ・ボンのように会社をつくってグッズを売って道場
の軍資金を稼ぐとか、全国に公論イベントを展開して
いくとか、自分の仕事がありながら、『ゴー宣』の思想を
広めていく「主体性」の凄さは、まるで信者のように映っ
ても仕方がないのかもしれない。
組織的動員ではなく、「個」の連帯で観客を集めるのが、
総合Pや公論サポーターの凄さだ。
だが、わしが指示したわけではない。
勝手にやってるのだ。勝手に入って、勝手に抜けてを
繰り返しながら、拡大している。
カレーせんべいもまた、ちぇぶと喧嘩して袂を分かった
ことが幸いした。
彼は彼で、自分の表現力でサイトをつくって、多くの
ファンを獲得している。
特に「良き観客」として読者でいる人々を孤独にしない
方法をカレーは編み出している。
その中から「たけし社長」のような、自分の軍資金から
億単位の資金を集めて、歪んだ「公」を変える猛者が
出てくる。
まもなくコロナ禍の最終段階の作戦が実行されるらしい。
わしは門下生のメーリスからも学ぶし、ライジングの
コメント欄からも学ぶし、カレーのサイトからも学ぶことが
できて、毎日、実に楽しい。
すべては「主体性」と「表現欲」だ。
誰もが表現者にならねばならない。
自分の頭で考えて、世に表現し、発信していかねば
ならない。
中国やロシアや北朝鮮では、絶対にそれが出来ない
のだ。
つまり「公共性」を広く保つことが重要なのだ。
コロナ禍のように、国家とマスコミが全体主義をつくり、
大衆が世間で全体主義を下支えし、「公共」が狭くなり、
自由が失われる状況に抵抗できるのは『ゴー宣』読者
しかいないだろう。
『ゴー宣』読者が全体主義に重要な風穴を開けておく
役割を果たしている。